ossan45’s blog

おっさんは一人称です。

おっさんと 生きる ということ

今回は、少し長くなる。
おっさんの死生観について書きたい。
初めて吐露することもある。
ご了承いただきたい。

最近始めたこのおっさんのブログを眺めてくださる方々がいる。こそーっとその方々のブログを拝見してみた。

生きることの難しさを皆さん感じることがあるんだと改めて思った。

おっさんは、以前のブログに書いたように、こじれた性格をしている。
それは、幼少期の貧しさからくるものだと自覚している。

おっさんの年になると、身近な人の死に接することが増える。
小さい頃からよくしてもらった親類や友人、最近は同級生の死も増えてきた。

そんな中、1番辛かった死は?
と、聞かれたら、間違いなく、母の死だった。

おっさんは10年ほど前に、母を亡くした。
病が発見されたときは、ステージ4の末期ガンだった。
それは本人にも伝えられ、勿論おっさん達にも伝えられた。
気丈にも、母は笑って聞いていた。
おっさん達に、気を遣わせないため。
すぐにそうだと分かった。

おっさんが、小さい時からそうだった。
母のクヨクヨした姿を見たことがなかった。涙すら見たことがなかった。
いつも、陰となり日向となり、おっさんの味方をしてくれた。

おっさんには、父がいる。
まだ、存命だ。
この父が、おっさんのこじれた性格の元凶だ。

父は、金の管理ができない。
ギャンブルや浪費癖で、常に貧しい暮らしを余儀なくされた。
小遣いなど渡されたこともなく、お年玉すら泥棒された。

そんな時には、母はヘソクリから、こそっとおっさんに必要経費を渡してくれた。

ある日、父は酒に酔い、母のヘソクリを渡せと母に暴力を振るった。
母は、おっさんにそのヘソクリを投げて渡し、必死に抵抗した。
父は、おっさんには暴力を振るうことはなかった。

普通、そんな父であれば、離婚問題である。
だが、母は離婚しなかった。
おっさん達の体裁を気にしてのことだった。
ありがたかった。

幸い、おっさんにも人生のパートナーを得ることができた。
母はすごく喜んでくれた。
嫁姑問題も皆無ですごく良くしてもらった。

今から、母親孝行を少しずつしていこう。


その矢先だった。

母が亡くなる当日、なぜか母から呼ばれた気がした。
当日は、母が入院する病院に行く予定ではなかった。
雪が降る寒い日だった。
病室の母は、歯磨きをしたいから、歯ブラシを持ってきて欲しい。と、言った。
歯ブラシをとりに帰り、再び病室に入ると、母は、肩で息をするほど、しんどい状態になっていた。
程なく、母は息を引き取った。
坂道を転がり落ちるように、とはよく言ったものだ。
苦しくなる様を、おっさんには見せたくなかったのかもしれない。
ホントに、そういう人だった。
救いは、母の最期を看取れたことだった。

それから、通夜や葬儀の段取りを、頼りにならない父になり替わり、おっさんが行ったそうだが、正直何も覚えていない。
世界で1番のおっさんの理解者が、この世から消えた途端に、世界から色という色がなくなった。

初めて人前で、涙が枯れるまで泣いた。
これから恩返しをしようとしたときには、もう遅かった。
その自責の念にかられて、火葬前には、冷たく、二度と動くことのない母の棺の前で嗚咽するほど泣いた。
泣いて泣いて泣いた。
後にも先にも、これほど後悔の涙を流したことはない。


人生は、いつ終わりがくるか分からない。
ただ、人生は一度きりである。


話は少し変わる。
一般的な話をしよう。

人生の途中で、自ら命を断つ人がいる。
なんて、馬鹿なことをしたんだ。
と、云う人がいる。

おっさんは、そうは思わない。
命を断つ選択は、その人なりの後悔をしない最期の選択だった。と、おっさんは思う。
それを、命の尊厳という。

明日死んでも後悔しない人生にしよう。
その考えを押し付けることはしない。
ただ、後悔先に立たず。
その言葉には、額面以上の威力がある。

皆さんの明日が幸せでありますように。